母の四十九日
ただ、時間だけが過ぎていったような気がする。
四十九日の読経を耳にしながら、私は母を思い出していた。子供の頃、母の口癖のひとつに「嫁入り道具はね、親に揃えてもらうんじゃなくて、自分で揃えなさい。一度に買おうとすると大金になるから、お給料から少しずつ、無理なく貯めて、時間をかけて揃えるのよ」という言葉があった。戦後、兄弟で実家を支えてきた母は、自分にできる範囲で生きていく術を教えてくれた。特に「これを買いなさい」とは言われなかったけれど、私は社会に出てからその言葉を覚えていたので最初に着物を揃えた。母は30年前に胃がんを患い、胃を全摘した。その頃私はまだ子供で、「がん=怖いもの」という印象だけが残っている。
晩年、母は花を愛でながら静かに暮らしていた。そして昨年、胃の結合部分にふたたびがんが見つかった。
なぜ今ごろ…? 動揺と戸惑いの中で2度目の手術を受け、3か月後には膀胱への転移が見つかった。
医師から「腎臓に管を入れなければ1週間もたない」と言われ、母の意思を確認し即手術。だが管は数日で外れてしまった。
「お医者さんは、あとどれくらい生きられるって?なんでまた癌になっちゃったのかな…」
母がつぶやいたとき、私は言葉を飲み込んだ。「もう長くない」と伝えるべきだったのか。遺したい言葉があったのではと、今でも思う。母は最後まで、生きることをあきらめなかった。
胃がなく、食べても吐いてしまうのに、時間をかけてゆっくり食べていた。
「明日また来るね」と言うと、「こんな姿、見られたくない…」と母は言った。
次の日早朝、病院から電話が鳴った。
運転する車の中で私は大声で泣いた。あんなに嗚咽したのは生まれて初めてだった。
病室の母は、もう静かに旅立ってた…。
風が頬を撫でていく。母の手の感触、声の調子、すべて今、心の中にある。
仏教の言葉に「諸行無常」があるが、悲しみではなく、すべての命が移り変わり続けるという言葉を信じて、母に恥じないよう日々丁寧に生きていこうと思う。また逢える日まで…。
すべて風のようにそっと通り過ぎていく。
令和7年秋